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講師
池田 尚広
(IKEDA, Naohiro)

経歴
2008年 杏林大学外国語学部(中国語専攻)卒業
2010年 杏林大学国際協力研究科博士前期課程国際文化交流専攻修了(修士(学術))
2010年 日本中国文化交流協会勤務
2017年 杏林大学外国語学部専任講師(現在)
2023年 同志社大学グローバル・スタディーズ研究科博士後期課程修了(博士(現代アジア研究))

先生の専門は何ですか?

戦後日中関係を中心とする近現代史です。特に民間交流や文化交流を対象にし、特定の人物に焦点をあてて分析することが多いです。時代背景を踏まえて、双方の人物が相互にどのようなスタンスで交流を行っていたか。また、どのように相手の国、特に日本側の人物が中国を観察したかを考察します。その意味では、歴史を下敷きにしながら、思想や文学にも関心を持っています。

なぜ、その専門に興味を持ったのですか?

本学大学院で日中通訳・翻訳を専攻し、その後1956年創立の友好団体、日本中国文化交流協会に勤務しました。文学、美術、演劇、音楽、スポーツなど様々な分野の通訳を担当し、政治家や財界人の通訳もしました。特に印象的だったのは先端医療や文化財保護・保存などに関連する仕事で、なぜか再生医療や医療機器の交流には最も駆り出されました。
一方で、協会草創期や日中国交正常化(1972年)の時代を知る先輩方から話を聞く中で、かつての交流は現在と大きく様相が異なることを感じました。いわゆる「日中友好」を目指した時代、そして1980年代以降の「蜜月期」、そして2000年代以降の歴史問題や領土問題、国民感情の諸要素が相互に絡み合う複雑な時代。「文化交流」を看板に掲げる団体にいたことで、いかなる時代にも不変であるものと先に挙げたような最先端の事物との対比をはっきりと目の当たりにしたように思えます。
2010年秋頃から領土問題をめぐり日中間の政府間関係が緊張しはじめ、それまで常套句であった「日中友好」という言葉のニュアンスに疑問を抱く人々が増えたように思えます。私も例外ではありませんでした。上に述べたような交流の変質は日中関係や交流における一つの節目のようにみえたわけです。それは同時に、これまでの日中関係を現代の視点から俯瞰的に観察できるのではないかと思ったことがきっかけです。

先生の専門分野の「こんなところが面白い」を教えてください。

戦後の日中関係や交流を、人的往来や人物・思想の面から研究しています。「戦後」とはいうものの各時代の交流においてかつての戦争認識や戦後意識は最も重要な観点であり、1945年の終戦を境に分断して考えることはできません。また、ある時期において日本人は社会主義や共産主義への憧れ、また戦前の中国への行いに対する教訓や反省があったとされます。一方で、そうしたキーワードはシンボリックであるがゆえに、その時代に存在した人物のアンビバレントな感情を無視して個性を埋もれさせてしまいます。そうしたものに捉われず、研究対象とした人物の著作や既存の評価を洗い出しながら、自分の眼に浮かび上がったオリジナルの人物像を見出すのが楽しみです。

大学で専門的に学ぶことでこんな未来が?

私自身、杏林大学で中国語をゼロから学びました。その後は通訳・翻訳を専門とし、また雑誌の編集をしていたこともあります。様々な経験が集約されて教員、研究者としての今があるわけですが、今後も何を糧にどこに向かうかは誰にもわかりません。ただ一ついえることは、そのスタートには大学での学びがあったということです。
昨今は外国語を学ぶことをキャリアデザインの一環として捉えることが多いようです。実際、大学生の段階でそれ以上の意味を持たせることは難しいでしょう。しかし一生懸命学ぶことで、検定試験や授業成績以外の何かが残ることは間違いありません。それが何かわかるのはずっと後のことかもしれませんが、その「何か」が将来自分をどこに連れて行ってくれるのか。大学は4年間あり、自由な学びを許される場所です。努力の行く末を「待つ」心境で学ぶことができる絶好の場所だと思います。

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